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N5528-C(寒空の星)
高次元資料館

登場人物

アンネス

 吹きすさぶ風が体の自由を奪っていく。およそ生物が活動していいレベルではない寒さが全身を刺し、思考もまともに回らなくなっていく。あぁ、もう帰りたい。帰って暖かいミルクを飲みたい。
 ――いや、いや。弱気になってどうする。初めての一人任務は、絶対に成功させてやると誓ったじゃないか。ここで逃げたりしたら、あんなに応援してくれたシロズマさんに合わせる顔がない。
 なんとか自分を奮い立たせて、重い足を前に進める。もう少しで町があったとされる場所に着くはずだ。そこまでなんとか頑張ろう。

***

 真っ白な雪を震える手でかき分け、生活の痕跡を探す。生き物の住む町があったらしい場所は、降り止まない雪に埋もれてしまっているようだった。何かひとつでもいい、ここに住んでいた物が生きていた跡を見つけて帰らないと。
 寒さに耐えながらしばらく探し物をしていると、轟々と鳴り響く吹雪の音に混ざって、なにか別の音がしている事に気付いた。囁くような小さな音なのに、耳をすませばちゃんと聞き取ることができる。吸い寄せられるように音の鳴るほうへ歩を進めると、そう遠くない場所に洞穴を見つけた。
 中は意外と広いが、とても暗い。音が空間に反響して、どこから音が出ているのかまったく分からない。しかし、言うことをきかない手を無理やり動かして火をつけると、照らされた空間に何かがいるのがはっきりと見えた。

「ひ、と……?」

それはどうやら、この世界に住む生命のようだった。いろんな世界でよく見る「人間」にとてもよく似ていて、真っ赤な顔には、大粒の涙がたくさん流れていた。あの音はこの生き物の泣き声だったのか。
 まだ生きている生命がいるなら、この世界の歴史や文化を聞き出せるかもしれない。そろり、そろりと近付いて、少し離れたところにしゃがみこむ。彼は呆然とした顔のままこちらを見つめていた。

「僕は、この世界のことを調べています。もしよければ、歴史とか、文化とか、こうなる前の話とか、聞かせてくれませんか」

***

 彼はいろいろなことを話してくれた。もともとは自然豊かな緑溢れる地であったこと。たくさんの人が賑やかに生きていたこと。そして、突然の猛吹雪ですべてが崩壊してしまったこと。それらひとつひとつをなんとかメモをして、溢れたぶんは一生懸命頭に詰め込んで、たくさんのデータを集めることができた。今までは埋もれた資料を発掘したり、建物の素材や傷などから推測したりが多かったから、生きた証言というのはとても新鮮だ。頑張ってここまで来たかいがあったな。
 大体のことを話し終わったあと、彼は俯いてまた泣き出してしまった。どうすればいいか分からなくて、なにかないかとバッグを漁っていると、震える声が隣から響いてきた。

「ひとりになるくらいなら、みんなと一緒に死にたかった」

冷えきった身体がさらに冷たくなる感覚がした。澄んだ空気は恐ろしいほど静かで、この空間だけ何もかもから隔絶されてしまったようだ。

 どうしてこの世界はこんなふうになってしまったのだろう。
 どうして彼ひとりだけ生き残ったのだろう。
 どうして、救ってくれる存在はどこにもいないのだろう。

 よくないことだとは分かっている。でも、苦しむ彼を見るほどに、自分の中のこの気持ちは膨れ上がって抑え込めなくなる。
 おもむろにバッグから通信機を取り出し、しっかりとボタンを押す。四回ほど鈴の音が鳴ったあとに、少しノイズがかかった声が聞こえてきた。

「はぁい、シロズマよ。どうしたの、アンネスちゃん」
「……シロズマさん。この世界を、ここに住む生き物を、救うことはできないんですか」

ゆっくり、はっきりとした声で、懇願の気持ちを込めて、そう言った。隣にいる彼のことも一緒に伝えた。……しかし、返ってきた答えは僕の思いとは正反対のものだった。

「あなたの気持ちはとてもよく分かるわ。でもね、それはできないの。私たち学芸員にそんな力がないのもそうだし、世界に大きな影響を与えることは館長が禁止しているの」

口を無理やり封じられたような気持ちだった。息を吸って、そのまま止める。唇を噛み締めて、溢れる感情を奥へ奥へと押し込む。目を閉じて、息を吐いて、よろめきながら立ち上がった。

「分かりました。……任務は終えたので、今から戻ります」

動かない足を引きずるように五歩前に進んで、くるりと後ろに振り返る。少しだけ顔を上げてこちらを見ていた生き物に、さようならと、音にならなかった言葉を送ったつもりで、洞穴を背にして歩き出した。

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