高次元資料館
高次元資料館
登場人物
アンネス、シロズマ
暖かい、ような気がする。頭に最初に浮かんだのがその言葉だったからそう言っただけだが。徐々に周囲が淡い黄色に、そして白に、そして水色に――目まぐるしくぐるぐると色が混ざる。
自分という存在を認知できたのは、それから少し経って、目の前の何かがこちらを見ていると認識できた時だった。
「おはよう。目覚めはいかがかしら」
なにも、なにも知らないはずなのに、周囲のあらゆるものを、自分の置かれている状況を、説明するための言葉が頭に湧いてくる。僕の顔を覗き込んでいるその生命体は、涼しげなスカイブルーの長い髪を持っている。瞳は紫がかった青色で、その色とは正反対な、暖かい慈愛の感情が閉じ込められていた。
「はじめまして、新しい学芸員くん。私の名前はシロズマっていうの。ぜひ覚えてちょうだいね」
僕の状況を分かっているのかいないのか、彼女は言葉をさらに重ねる。返答はせずに何度か丁寧に瞬きをして、首を左右に捻り、周囲の様子を確認してみる。淡い黄色と白を織り交ぜた、美しい装飾の散りばめられた床、壁、そして空間を淡く照らすシャンデリア。壁沿いには高く高く伸びる棚が置かれ、それにギッシリと大量の本が詰められている。神々しい、なんて安直な感想を抱いた。
ふらつきながら立ち上がると、目の前にいた生命体は僕とあまり変わらない背丈をしていた。ふふ、と柔らかく笑った彼女は、「着いて来て」と言って歩き始めた。コツコツと、硬い音が鳴り響く。
「ここはね、高次元資料館っていう場所なの。とても、とっても高い場所にある、なんとも不思議な資料館」
どこかへ向かっているのか、はたまた適当に歩いているだけなのか。その答えは分からないが、他の疑問についての答えは、彼女の話の中にたくさん隠れていた。
――高次元資料館。ここには、様々な世界で発展し、そして滅びた文明の歴史や文化を纏めた資料が、数え切れないほど保管されている。それらはすべてこの資料館で働く〝学芸員〟と呼ばれる者たちが、文明の発展していた土地へ赴き、そこから得られる情報を繋ぎ合わせて編纂したものだそうだ。そしてこの僕も、その学芸員として今日から働くらしい。……急過ぎやしないだろうか。
「あの、僕はなにも、目が覚めるまでの記憶もないのに、そんな突然……」
「あら、記憶がないなんて当たり前よ。だってあなたは今生まれたんだから」
これで驚かない者が、一体どれくらいいるだろうか。歩くことも忘れて驚愕に呑まれる僕を見て、シロズマさんは楽しそうにカラコロと笑った。
「私たちは普通の生命とは違うの。生まれたときから完全な体を持っているし、基本的な知識はすでに持っている。これは、私たちを生み出している館長からのプレゼントよ」
ここで「そうですか分かりました」と、すぐに飲み込めるほどの頭を、僕は持っていないようだった。混乱を極めてきて、無意識に下を向く。
「今は何も分からなくていいわ。これから少しずつ分かっていくから」
優しい声で彼女がそう言ってくれているのが、かろうじて聞こえる。はい、と返事をしたつもりだったが、ちゃんと声帯が機能しているかは怪しかった。またゆっくりと歩きだし、やがて目の前に一つの扉が立ちはだかる。大きな扉で、大人が数人手を繋いで届くか届かないか、というくらいの横幅だ。
「さて、この扉の向こうが大広間、この資料館の主要な部屋のひとつよ」
躊躇いなく扉を開けると、彼女はまた歩き始めた。それに置いていかれないように、慌てて着いて行く。
大広間は様々なもので溢れ返っていた。真ん中には小さな噴水が流れる人工の池があり、周囲には何に使うのか分からないほどの数の椅子が配置されていた。その奥には幅の広い階段がぐるっと回っており、二階には広々としたバルコニーが見える。その奥にはきっと、更に部屋がたくさんあるのだろう。噴水の前まで歩くと、シロズマさんはくるりとこちらに振り向いた。
「あなたの名前を教えてなかったわね。あなたはアンネス、この名前も館長からのプレゼントよ」
アンネス。口に出して、その響きを確かめてみる。シロズマさんがニコリと笑いかけてきて、それからゆっくりと右手を開いて差し出した。
「改めまして。高次元資料館へようこそ、アンネスちゃん」